読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日々の泡

ついったでは書ききれない感想など

【映画】『3月のライオン前編』感想

◼評価
 ★★★★⭐(4.5/ 5.0)

◼感想(長いです)
「勝利の意味が少年を成長させていく」

物語は、主人公・桐山零が、育ての父である幸田を対局で打ち負かす所から始まる。しかし、勝った後の彼の表情は虚ろで、なんの感情も伺えない。このシーンから、天才少年棋士と呼ばれているにも関わらず、零にとって、将棋で勝つことが喜びではなく、むしろ苦しみでさえあることを、画面は伝えてくる。
9年前、亡き父の友人であったプロ棋士の幸田が、家族を失い、身寄りのない幼い零を息子として引き取った時から、零と将棋の因縁は始まる。幸田の家庭に引き取られた零は、彼の内弟子となる。
プロ棋士の家庭で、息子として生きていくことの意味……血の繋がらない親に、自分の存在価値を証明し続けるためには、零には将棋しか無かった。将棋で勝ち続け、強さを証明することこそが、幼い彼にとっては生きていく手段であった。
そんな厳しい環境が零の才能を目覚めさせ、彼は著しい成長を遂げていく。だが義理の姉をも凌ぐ程に成長した彼の実力が、今度は幸田家の零の居場所を奪うことになる……。
このように、物語前半の零にとって、将棋で勝つことは、唯一の生きていく手段であると同時に、それは更なる深い孤独へ自らを突き落とすものであった。
零自身が叫ぶシーンの通り、彼には将棋しかない。しかしその将棋が、意図せぬ形で周りの人を不幸にしていき、自らもそれによって傷つき、更なる孤独へ追い込まれる。そこに深い彼の苦悩があった。

そんな袋小路の零の将棋人生に、転機が訪れる。川本三姉妹との偶然の出会いにより、彼は幸田家では得られなかった家族の暖かさを知る。彼女たちとの絆を深めるうちに、零は孤独から救われていく。
そして、勝つことが零を孤独に追いやるのではなく、周りの人の期待に応えること、誰かの為になるということに気付いた時、彼は初めて勝つことへの執着に目覚め、自分の棋士人生を自らの意志で歩み始める……。

このように、前半は零が一人の棋士として覚醒していく過程を追う、少年の成長物語である。これだけでも一本の映画になりそうな情報量だが、しかしこの映画はここでは終わらない。
後半は、零以外の棋士達の対局に焦点が当たっていく。
なかでも、零を先輩として導く島田八段(佐々木蔵之介)と、零と因縁を持つ後藤九段(伊藤英明)の対決シーンは息を呑む。将棋を指しているだけなのに、アクション映画並の緊張感と興奮が画面から溢れてくる。
盤面にドラマがあり、そして、それは将棋が分からない観客にも伝わるようになっている。
対局のシーンは、基本的に盤面と役者の顔のアップのショットで構成されているが、それが退屈にならず分かりやすいのが、この映画の凄いところ。盤面を映すのみではなく、役者の演技とカメラの映し方により、どちらが優勢か劣勢かを、一目で分かりやすく伝えてくれるのだ。
対局時の棋士役の役者達の演技力たるや、凄まじいこと。表情のみならず、姿勢から視線、息づかい、指先の動き、盤面との距離、指す時の音に至るまで、全身全霊でそのキャラクターの心情を表現している。
一手一手を打つ棋士達の、闘志の炎を内に抱えながらも、凛とした佇まいには、男の色気すら感じる。将棋を指しているだけなのに、そこで交わされる感情のやり取りが、何とも官能的に見える。
そして、それを追うカメラも見事。役者の顔のアップのみならず、上座と下座の構図や、肩越しのショット、煽りや俯瞰などの角度など、練られた撮影編集によって、盤面を見ずとも勝負の優劣が分かるようにされている。

棋士達との対局と、複雑な人間模様が交錯するなか、前半の物語は幕を閉じ、後編へと続く。

この映画は、孤独と人との絆、勝負の世界の厳しさ、それぞれのキャラクターが背負うものを見せることで、主人公・桐山零の成長を描く物語だった。
この作品の世界には、誰も完璧な人間などいない。零を凌ぐ実力を持つ棋士達でさえも、なにかを背負い、勝負をし、勝つことで己の道を拓くことで足掻いている。
それに気付いた零が、今後どのような成長を見せるのか……。後編を観るのが楽しみでならない。

※映画.comにもレビューを載せています
http://eiga.com/movie/83116/review/01524599/