日々の泡

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【映画】『帝一の國』感想

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■評価
 ★★★★☆(3.9/5.0)

■感想
 「男らしさを究極的に突き詰めるとシュールな笑いが生まれる」という現象をギャグとして描く作品が、この世にはたびたび生まれる。たとえば、昭和の傑作少年漫画『魁!!男塾』がその典型であったのに対し、2010年代の今は、この『帝一の國』がおそらくその先端を行っているのではないだろうか。

 ストーリーは、全国屈指のエリートたちが集まる、旧日本帝国海軍が母体の超名門男子校・海帝高校に主人公・赤場帝一(菅田将暉)が入学する所から始まる。卒業生に政財界の重鎮達を多く輩出するこの海帝高校において、生徒会長に選ばれるという事は、この国の総理大臣になる資格を得ることを意味する。「自分の国をつくる為に日本の総理大臣になる」という夢を抱く帝一は、二年後の生徒会長選挙で優位に立つべく、入学直後からクラスのルーム長になる。そして、次期生徒会長選の有力候補の派閥に入ることを目論み、自ら選んだ次期生徒会長候補を勝たせる為に、学園権力闘争の渦中へ身を投じることになる……。

 この高校における生徒会長選というのは、単なる学生の代表者選びではなく、卒業後の先の政財界へ入るための有利な切符を手にする為の、権力争いを意味する。つまり海帝高校という男子校のトップに立つことが、日本の政界という男社会のトップに立つ者に選ばれるという事に繋がっているのだ。
 エリート男子校という男だけのホモソーシャルな空間においてリーダーに立つためには、「男らしくあること」が重要になる。そのため帝一はピアノという「男らしくない」才能を封印し、また、硬派であることを装うために、美美子という交際相手がいる事を秘密にしている(昭和が舞台のこの作品中においては、男女交際は禁止されており、女性の恋人がいることは軟派とみなされ、スキャンダルに繋がるのだ)。
 この「男らしさ」の過剰な演出が、作品の随所で笑いを生む。たとえば、生徒会長に恥をかかせたものは武士道に従い「仮切腹」(仮想切腹?)の刑に処されるという掟。また、次期生徒会長選の有力候補は、選挙人との一体感を生むために、ふんどし姿で和太鼓パフォーマンスを披露する……といった具合に、突き抜けた男らしさの表現が、「男らしさっていったいナニ?」とシュールな疑問と笑いを次々に巻き起こすのだ。

 ……とここまでであれば、昭和の『魁!!男塾』と共通する点が多いのだが、2017年の今作が昭和の作品と違うのは、『帝一の國』で男子生徒達のトップに立つためには、「男らしさ」に加え、「美しさ」が求められているように見える点である。これには、この映画のキャスティングが大きく影響している。
 この作品の映画化以前に、『帝一の國』はいわる2.5次元舞台化で成功しており、2.5次元舞台で活躍する俳優や、特撮作品出身のイケメン俳優を多く起用している。三年の現生徒会長の堂山役には、(舞台版では主人公・帝一役を務めた)木村了、二年の次期生徒会長有力候補の氷室ローランド役には間宮祥太朗、同じく二年の有力候補・森園億人役に千葉雄大と、錚々たるイケメン若手俳優を起用している。
(※余談だが、そういえば昨年話題になり、一部の熱狂的ファンを生んだヤンキーとチンピラだらけの喧嘩映画『HiGH&LOW THE MOVIE』においても、SWORDと呼ばれる5つのチームの頭(ヘッド)には、皆美形を起用していたのを思い出す)
 とにかく、『帝一の國』の世界においては、男社会の上に立つ者の資質として容姿がある程度重要なのは、間違いないようである。

 主人公・帝一は物語中で、美美子らから「どうして総理大臣になりたいのか」「どうして自分の国をつくりたいのか」ということを問われるのだが、後半、その理由が明らかになる。それには「男らしくあるため」に、自分の男らしくないある一面を封じられたという、彼の辛い過去が影響していた。そして帝一は、自由に自分らしくあれる国をつくるという為に、総理大臣になるという強い野望を抱くようになるのだ。

 現代社会において、「男らしくあれ」という従来の社会規範に対し、強いストレスや生きづらさを抱く男性は増えている。帝一もそのような男性ジェンダーを負わされ、自分の一部を犠牲にされた一人だった。
 だがいくら社会的規範に疑問を持とうと、結局のところ、社会の仕組みを外側から変えるのは、非常に困難だ。それには、社会を作る側……つまり、政治という男社会で、内側から上り詰めるのが、最も手っ取り早い改革の手段なのだ。

 自らに負わされた男性性から自由になる手段として、帝一は権力を渇望する。権力者である上級生達に媚びへつらう彼の姿は、時に滑稽だ。だが、「女性らしくあれ」という抑圧に、日頃生きづらさを感じている私のような女にとっては、そんな彼の姿を無様だと、後ろ指を指して笑うことができないのも、また事実なのである。