日々の泡

映画や本の感想、日々の出来事について

【映画】『ゆれる』感想(2006年・西川美和監督)

f:id:mayringooo:20170509154511j:plain

◼評価
 ★★★⭐⭐(4.3/5.0)

◼感想

 フィクションの多くは、キャラクターの台詞や言動によって、その人の心情や内面や過去を明快に表現することで、ラストへと導き、観客に問題が解決したという満足感を与える。だが、実際の生活において、必ずしも私達は自分の心情を赤裸々に吐露したり、思っている事をそのまま相手に伝えたりしないものだ。

 人間の表層と深層心理には、断絶がある。そしてこの『ゆれる』という作品は、ある兄弟のそんな人間の心の断絶を、深く掘り下げた映画だった。


 物語は、東京でカメラマンとして活躍する猛(オダギリジョー)が、母の一周忌の法事の為、地方の故郷へと帰ってくる所から始まる。実家では、兄の稔(香川照之)が家事と実家の稼業をこなしながら、父の勇と男二人で暮らしている。

 悠々自適に都会で生活する猛とは違い、長男の稔は稼業を継ぎ、小さなガソリンスタンドで働いている。猛はそんな兄に、稼業から逃げたという負い目を感じていた。

 猛は車でトンネルを通り、故郷へと向かう。それはまるで明るい都会から、どこか異界へと通じる道を進むかのよう。故郷のシーンは、主にローキーな照明で撮影され、全体的に暗い閉塞感を印象づける。これにより、故郷が猛にとって心安らぐ場所ではなく、陰鬱な所であることを、画面は示す。


 稼業のガソリンスタンドには、猛の昔馴染みの女性・智恵子(真木よう子)も働いている。智恵子は最初、車のガラス越しに猛に気付くが、猛は智恵子に気付かないふりをする。二人の視線は直接交わらず、猛は車のミラーごしに智恵子を確認して去っていく。このシーンで、智恵子が一方的に猛に好意を抱いている事を、カメラは暗示する。

 一周忌の後、働いている稔と智恵子の仲の良い様子を見て、猛は兄が智恵子に好意を抱いている事を見抜く。だが女たらしの猛は、智恵子を家に送る際、彼女を誘惑し、性的関係を持ってしまう。


 その翌日、稔は猛と智恵子を誘い、風光明媚な渓谷へ出掛ける。暗いトンネルを抜け、渓谷という異界へ、3人の乗った車はたどり着く。

 澄んだ川で子供のようにはしゃぐ稔とは対照的に、昨日の情事のせいでぎくしゃくする猛と智恵子。智恵子は故郷の生活に行き詰まりを感じており、猛を追って東京に出ていきたい気持ちを、暗に漏らす。そんな深刻な雰囲気に気まずさを覚えた猛は、稔と智恵子を置いて、つり橋を渡り、一人で渓谷の奥へと写真を撮影しに行く。


 すると智恵子は稔を無視して、猛を追い、つり橋を渡ろうとする。そんな智恵子を稔はつり橋の上で引き留めようと追ってくる。稔と智恵子の感情のぶつかりを、手持カメラは激しくぶれながら追う。

 このシーンにおける「つり橋」は、非常に象徴的だ。

 智恵子にとって、つり橋のあちら側へ行くという行為は、猛という好きな人の元へ行くということのみならず、猛が住む東京へ出ていく決意を意味する。そしてそんな智恵子を追ってくる稔は、自由のない、故郷の行き詰まった生活の象徴そのものだ。

 智恵子は稔と故郷の暗い日々から逃れようと、稔の腕を振りほどこうとする。そして一方で、智恵子のこの拒絶は、稔にとっては、稼業を継ぎ、地味に生活する自分の人生を否定されること、そのものであった。


 つり橋の二人の様子を一瞥しながら、写真を撮る猛は、不穏なものを感じとるが、戻らない。だが気になり、もう一度つり橋を見る。するとつり橋には智恵子の姿は無く、橋の板の上で呆然としゃがみこむ稔の姿だけがあった。智恵子はつり橋から転落したのだと悟り、慌てて猛はつり橋へと戻る。

 茫然自失の稔を見て、事件の予感を感じながらも、猛は智恵子が勝手につり橋から落ちたと思い込み、警察に連絡する。

 警察から事情聴取を受け、事故扱いで処理されるようになり、猛は胸を撫で下ろす。しかし、罪悪感に堪えきれなくなったのか、稔は勝手に警察に自首をし、逮捕される。

 そして、智恵子の殺人容疑をめぐり、稔は法廷で追及される。あの時、一体つり橋では何があったのか……法廷を通して、猛は自らも知らなかった兄の心の闇を覗くことになる。


 物語の後半は、裁判のシーンを中心に描かれる。裁判の序盤は、被告人であるにも関わらず、カメラのピントは稔に合わずにぼやけ、背景の弁護士や検察官、傍聴席をはっきり映す。それにより、何を考えているのか分からない稔の心を、画面は暗示する。

 しかし、裁判が進み、稔が猛に黙っていた事実が判明し、稔の心の歪みが明らかになっていくにつれ、カメラのピントははっきりと稔の表情を捉えだす。 


 都会に出た猛は、稼業を継ぎ、親の面倒を見、長男としての役割を果たしている兄の稔に、常に負い目を感じていた。稔の立場は、現代に残った家父長制の犠牲の典型のようにも見える。

 しかし猛は同時に、自分は稔のようにならなくて済んだという事に、どこか安堵を覚えている。


 裁判にかけられた兄を守ろうとして猛は奔走するが、ある時、そんな彼に稔は「俺を守るふりをして自分を守ってきただけだ」と、猛の欺瞞を暴く。

 そして、兄弟の間に脆くも掛かっていたつり橋は崩落し、決定的な断絶が、二人の間に生まれるのだ……。


 物語の終盤、あることをきっかけに猛は子供時代の稔との記憶を甦らせる。

 そして自分が、兄の言葉の通り、本当に兄を信じていなかったこと、なぜ兄を信じて別の可能性を考えられなかったのかと、激しい後悔を抱く。


 弟と兄、二人の間に、再び橋は掛かるのだろうか……。ラストで、渡れない大きな断絶を挟んで、猛と稔は視線を通わせる。

 そこに希望を見いだすか否かは、私たち観客に委ねられている。