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日々の泡

ついったでは書ききれない感想など

【映画】『パーソナル・ショッパー』感想(ネタバレあり)

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◼評価
 ★★★⭐⭐(3.3/5.0)

◼感想
 突然だが、私は幼少期を日本有数の信仰深い土地で過ごしたせいか、自身の信仰以前に、昔から魂の存在を信じている。
 そして現在は『新耳袋』を始めとした多くの実話怪談集本の蒐集家であり、『幽』等の怪談雑誌の読者であり、平山夢明氏や加門七海氏、最近では郷内心瞳氏といった実話系怪談作家の熱心なファンであり、時に怪談イベントに足を運び、知人から実体験の超常現象の話を聞き集めたり、(家人に嫌がられながらも)就寝前には必ず何らかの怪談本や怪談系民俗学的資料を読みながら寝たりする。つまりは、どこにでもいる(多分)オカルト好きの一人である。
(ちなみに、多くのオカルトファンがそうであるように、私はスピリチュアルという単語を忌避して使わない。それは霊的なものから禍禍しい面や宗教的背景を取り除いて、一般向けに舌触りよくするために漂白された、カジュアルでクリーンすぎる単語だからだ)

 そのため、以下に述べるこの『パーソナル・ショッパー』の感想は、いち映画ファンであると同時に、オカルトファンとしての個人的な推測によるところがある。そのようなものに懐疑的な方には、荒唐無稽な部分が多いと思われるため、この感想を読まれるのはお薦めしないということを、予め断らせて頂く。
 以下、この映画のストーリーを追いつつ、拙い私なりの解釈を記述する。

 主人公モウリーン(クリスティン・スチュワート)は3ヶ月ほど前に双子の兄ルイスを亡くし、自分の半身を失った悲しみから立ち直れないまま、兄が亡くなったパリで、彼が死後の世界から「サイン」を送ってくるのを待っている。彼女と亡くなった兄には霊媒師の才能があり、生前「どちらかが先に亡くなったら、サインを互いに送る」と約束していた為だ。

 夜になると、モウリーンは生前ルイスが過ごしていた郊外の屋敷に滞在し、ルイスが現れるのを待つ。
 屋敷の中をまわり、次々に窓を開けていくモウリーンの姿を、カメラは丁寧に追っていく。この窓を開放するという行為は、外(異界)から内へ他者(つまりルイスの魂)を呼び込む為の、儀式的な行為のように見える。
 屋敷の中に他者の存在を感じながら、だが、決定的なサインを見いだせず、モウリーンは一人で朝まで過ごす。

 モウリーンの仕事は、多忙なセレブであるキーラの代わりに服を選んで届ける、パーソナルショッパーだ。モウリーンは、常にどのアイテムがキーラが気に入るかを第一に考え、ブランド店からブランド店へとバイクで街を疾走する。
 その仕事は、単なる買い物代行のみならず、「他人の欲望の代理人」とも言える。
 買い物という消費欲は、人間の持つ生々しい煩悩(=生の象徴)そのものだ。そしてその欲望は、もっとも「死」という精神世界から遠い。
 つまり、モウリーンは人の煩悩と死後の霊界、エロスとタナトスという、二つの両極端な世界を行き来して暮らしている。そして、そんな彼女の生活は最近上手く行っていない。

 最先端の流行を発信するアパレルショップやショールーム、きらびやかなファッションの世界を飛び回っているというのに、モウリーンは常にノーメイク。服装は、革ジャンにジーンズや、シンプルなポロシャツ。飾り気がなく、いつも全体的に暗めの色合いのコーデである。
 (クリスティン・スチュワートの類い稀な美貌のお陰でサマにはなっているものの)彼女の地味すぎるファッションは、明らかにファッション業界という、人間の欲望が渦巻く世界では浮いている。逆に言えば、キラキラ輝く世界に身を置いているからこそ、彼女の服装は異端に見える。
 常に暗く地味な彼女の装いはまるで、亡くなった兄の喪に服すため、服を選んでいるかのようだ。
(因みに、彼女が信仰を持っているかは分からないが、キリスト教等の宗教には、日本の四十九日のように具体的な忌服期間はない。日本の忌服の習慣は、宗教というより日本独特のケガレ思想からきている)

 モウリーンは、ルイスが遺した屋敷で再び夜を越し、超常現象を体験するが、それは兄ではなく見知らぬ女の霊だった。
 もう兄は屋敷にはいないのではないかと、モウリーンが肩を落としかけたある日、差出人不明のテキストメールがスマホに届く。
 誰かと問いかけるモウリーンに、相手は「私はお前を知っている。お前も私を知っている」と答える。ただのイタズラかと無視しようとするが、兄からのサインという、一方的な連絡を待つことに疲弊していたせいだろうか。彼女はテキストメールという、双方向のコミュニケーションに興味をひかれ、会話を続けてしまう。そのうち、相手があまりにも自分の事を知っていることから、もしやメールの相手はルイスなのでは……と疑いを抱きつつ、彼女はメールのやり取りを続ける。
 一体、メールの相手は誰なのか。何の目的で、彼女に接触してくるのか……ここから、物語はサスペンス味を帯びてくる。

 やり取りを続けていくうち、メール相手からの質問は、例えば「君が嫌いなものは何?」「別人になりたいと思うか?」など、どんどん個人的(パーソナル)なものになっていく。
 その質問に答えるうちに、やがてモウリーンは、彼女自身も気づいていなかった、自分の欲望を意識するようになっていく。
 いつものように洋服を買い回って雇い主の元へ届けたある日、彼女はメールで「最も怖れていることは何か?」と問われる。この質問に「禁止されていることをやってしまうこと」と答える。
 そしてこの回答を通して、モウリーンは雇い主から禁止されていた行為……つまり「雇い主のドレスや靴やアクセサリーを自ら身に付けることをしてみたい」という、抑圧してきた自分の欲望に目覚める。
 留守中の雇い主の家で、モウリーンは禁忌を犯す。雇い主の為に買い付けたドレスと靴を身に付けた時、彼女は自分に課していた抑圧から解放される。同時に、もう一つの新たな欲望……エロティックな衝動が沸き上がり、雇い主のベッドで、衝動的にマスターベーションに耽ってしまう。しかし、なぜそんな行為をしてしまったのか。
 この時私は、思想家ジョルジュ・バタイユの著書「エロティシズム」を思い出した。そこでは「『禁止』を破って『侵犯』することで、エロティシズムの領域に至る」という主張が説かれていた。
 この思考に沿うと、「雇い主の服や靴を身に付けてはいけない」というモウリーンにとって身近な『禁止』を破ってドレスを纏い、『侵犯』したことで、彼女はエロティシズムな領域と交流(コミュニカシオン)したのではないか……そんな風に私は結論づけた。

 雇い主のベッドで眠ってしまったモウリーンが、朝ふと目覚めると、傍に霊的存在がいることに驚き、慌ててその家を出る。
 この霊的存在は一体何なのか。これは憶測でしかないが、モウリーンのテキストメールの相手の魂(つまり生霊)ではないか。何故ならば、モウリーンが雇い主の家にいることを知っていたのは、メールの相手だけであり、また後に彼(彼女)は「モウリーンの着飾った姿を見たい」という欲求をメールで送ってくるからだ。その生きた人間の強い欲求が具現化した形が、生霊となってモウリーンの元を訪れたのではないだろうか。

 その後、テキストメールの相手は、モウリーンをあるホテルの部屋に来るように呼び出す。行ってみると部屋は無人で、部屋の代金は彼女の名前で事前精算されていた。
 モウリーンはメール相手に「着飾ったあなたを見せて」と言われ、雇い主のドレスと靴を纏った姿を自撮りして、メールに送る。
 この時のモウリーンはいつものスッピンではなく、きちんとメイクをし、髪を整えており、ゴージャスなドレスに引けをとらない程美しい。この時、自分の欲望を自覚した彼女の生活は、死の世界から生の世界へと比重を移しつつあるように見える。

 だが、雇い主の突然の死を目撃することよって、彼女の心は再び死者の世界へと突然引き戻されてしまう。
 いつものように買った服とカルティエのジュエリーを届けに雇い主の部屋を訪れると、殺された雇い主の死体を見つける。部屋にいる邪悪な何者かの気配に気付き、一旦慌ててその場を去るも、冷静になり、戻って警察に通報する。
 警察の取り調べを終えて疲れて家に帰ると、彼女の部屋には、確かに雇い主の部屋に置いてきた筈のカルティエのジュエリーが置かれていた。それを見て、モウリーンは死体を発見した時に部屋に感じた「何者かの気配(=雇い主を殺した犯人)」が、彼女の部屋に入り込み、勝手に置いていったのだと慄然とする。

 そんな時、いつものテキストメールが届き、モウリーンは激しく動揺する。彼女を精神的に追い詰めるメールが立て続けに携帯に届く。
『警察にこのメールのことを話した?今から君に会いに行く』『今、駅にいる』『今エレベーター』『今、君の部屋の前』と、相手はどんどん近付いてくる様子で、モウリーンはパニックに陥る。
(ちなみに、このやり取りの様子は、かつて日本で流行した都市伝説的怪談『メリーさんの電話』を彷彿とする怖さがある)
 怖々とモウリーンはドアミラーから外を覗いてみるが、誰もいない。しかし、ドアの隙間から『ホテルの部屋に来て』というメッセージが届く。
 当初はメールのやり取りで、自分の欲望を自覚し、いつのまにか相手に自己を投影していたモウリーン。だが、メール相手が完全な他者であり、殺人犯かもれないと分かったいま、メール相手は彼女にとって完全に恐怖の対象でしかなかった。

 勇気を出し、カルティエのジュエリーを持ってホテルの部屋をモウリーンは訪れる。待っていると、静かに部屋のドアが開く。だが、その訪問者の姿を映さずに、場面は切り替わる。
 画面が次に映し出すのは、ホテルのロビーのエレベーターだ。到着のチャイムが鳴り、エレベーターの扉が開くが、そこに人の姿は無い。だが、まるでそこに透明人間が歩いているかのように、カメラは見えない何者かの姿を追う。そして見えないのに、ホテルの二重の自動ドアが開き、「透明人間」は去っていく。
 そしてその後、画面は再び同じエレベーターを映すが、今度は別の男が乗ってロビーへと降りてくる。見覚えのあるその顔は、モウリーンが映画の序盤に雇い主の部屋で出会った、雇い主の愛人の男だった。男は、ロビーからホテルの自動ドアを出た瞬間、張っていた警察に取り抑えられそうになり、逃亡する。そこで、モウリーンの雇い主を殺した犯人であり、彼女にテキストメールを送り続けていたストーカーは、この愛人の男だった事が判明する。

 しかし、ここで謎が残る。いったいモウリーンはホテルで誰に会ったのか。私は、この犯人の男と彼女は接触していないと考える。
 犯人の男は、最初に会ったとき、モウリーンが「死んだ兄からのサインを待ち続けている」という彼女の話を聞いている。犯人は、そんな不安定な彼女の精神状態につけこみ、テキストメールの相手が死んだ兄からのものと思い込むだろうと予想し、メールを彼女に送り続けていた。そしてキーラ殺害後は、モウリーンを雇い主殺害の犯人に仕立て上げるため、彼女の部屋にカルティエのジュエリーを置いてきたのではないか。
 以上の仮説に沿って考えれば、犯人がモウリーンに罪を擦り付ける為には、彼女の口を封じることが必要になる。つまり、モウリーンを自殺に見せかけて殺害するなり、行方不明にするなり、何らかの形で彼女を消すことが必要になる筈なのだ。
 しかし、犯人がホテルを出て逮捕された後も、モウリーンは無事だった。とすれば、彼女がホテルの部屋で出会ったのは犯人ではなく、犯人より先にホテルを去った「透明人間」の方ではないのだろうか。そうであれば、犯人はホテルの部屋を訪れようとして、部屋の中にモウリーン以外の存在がいることに気付き、彼女に接触せず出ていった……と考えることが出来る。

 事件が無事解決し、モウリーンは恋人のいるオマーンへ旅立つ決心をする。パリを離れる前に、モウリーンは兄ルイスの元妻ララの家に宿泊させてもらう。翌朝、庭でララの新しい恋人アーウィンと偶然鉢合わせたモウリーンは、彼とぎこちなく会話する。彼は「この家にルイスの気配がする」と言うが、一連の事件で兄ルイスからのサインを待つことを既に諦めかけていたモウリーンは、アーウィンの言葉を否定する。
 アーウィンが去った後、庭に残っていたモウリーンの背後の家のキッチンの窓に、ぼやけた男の顔が映って消える。そしてその直後、キッチンに置いてあったガラスのコップが落ちて割れ、音に驚いてモウリーンはキッチンを振り返る。
 直前に窓に映った男の顔から、霊的な存在がコップを落としたのだと観客は感づくが、モウリーンは偶然コップが落ちたのだと思い、霊的な存在に気づかない。
 そしてモウリーンは、パリを去り、恋人がいるオマーンの山の中の宿泊先に旅立つ。

 穏やかに光指す山の部屋のなかで、モウリーンは心を休めようとするが、何かの気配を感じて隣の部屋へ行く。すると、コップが宙に浮いており、そのまま床へと落ちて壊れる。それは、先日パリのララの家でコップが落下させたのに、モウリーンに存在を気づかれなかった同じ人物が、今度は彼女が存在に分かるように、より大胆なやり方でやったように見える。
 直後、壁を叩くような大きな音が鳴り、その場に霊的存在がいることを確信したモウリーンは「音一回ならイエス、二回ならノーで答えて」と言い、霊的存在に問いかける。
 「あなたはルイスか?」という質問に音一回(イエス)で霊的存在は回答する。だが続けて「あなたはいま平静なのか?」「あなたはいま辛いのか?」という問いかけをしても、返答はない。
 そして「私のせい?」と尋ねた時、大きな音が一回鳴り響き、モウリーンは動揺する。ここで、映画はラストを迎える。

 私は、パリのホテルに現れた透明人間、ララの家でコップを落とした男の人影、オマーンで交信した霊的存在、この三つの存在はすべてルイスではないかと考えている。それは、ルイスの魂は、森の屋敷やパリの街にいたのではなく、(モウリーン本人が気づいていなかっただけで)彼女自身にずっと憑いていたのではないかと仮定すると、色々と合点がいくからだ。
 では、なぜモウリーンに憑いていたのか。それは、彼女が生前ルイスと交わした「どちらかが亡くなったら、相手にサインを送る」という約束のせいではないか。
 この約束は、遺されたモウリーンにとっては、兄の魂の存在を感じたいという希望だ。しかし同時にこの約束は、既に亡くなり、霊的存在となったルイスにとっては、彼の魂を現世に縛り付けている呪縛である。ルイスは、モウリーンに自分の存在を気づいてもらえず、この約束を果たせない限りは、死後の世界へと旅立つことが出来ない。そして彼をそうさせているのが、約束に対する自分の執念であることを、モウリーンは今まで気づかず過ごしてきた。

 ラストの霊的存在との交信で、ルイスと名乗るそれに、モウリーンは「私のせい?」と尋ね、イエスと回答を得る。
 この時、モウリーンは常にルイスが傍にいたこと、彼女との約束がルイスを縛り付けていることに、気がついただろうか。
 もし彼女が気づいたならば、ルイスの魂は現世から解放される。そしてモウリーン自身も、自分の人生を前へ進めなければと、行動し始めるはずた。
 
 願わくば、ラストの瞬間、モウリーンにルイスの存在と、あの回答の意味を理解してほしいと思う。
 私はそこに、救いを見出だしている。





◼余談
 この『パーソナル・ショッパー』のように、余白を敢えて残し、観客の解釈に委ねる映画というのは、作り手からの観客に対する「ある種の挑戦」のだと思っている。
(まるで「具材は用意したから、後は自分で好きに料理したまえ」と言われているかのように)
 だが、そんな正解の無い映画に、真っ正面から自分の解釈をぶつけることは、非常にエネルギーが要る。時に否定もされるし、正直疲れるので、進んでやりたいものではない。だが、私の中のちっぽけなレビュアー魂が、逃げることを許してくれなかった。だから今回、仕方なく私は自分なりに悩んで、一つの解釈を認めるに至った。
 単純に「面白かった」とか「理解できなかった」とありきたりな言葉で言うのは簡単だ。しかし自分の言葉で感想を語れないということは、それは私にとっては思考停止で、レビュアーとしての敗北を認めることになる。
 それに、なぜそこまでして「パーソナル・ショッパー」の解釈を自分なりに書いたのかと言えば、まず第一に、私と同じように苦心し、自分なりの解釈を生み出した人のレビューを読みたいという気持ちが強いからだ。
 世の中には分かりやすく、もっと楽に楽しめる作品がある。だが、私はもっとこの作品に対する、他の方の解釈をもっと読みたいと願っている。
 私と違ういくつもの解釈が、このネットの海に現れることを、心待にしている。どうか、あなたなりの解釈を、あなたの言葉で私に届けてほしい。