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【映画】『マンチェスター・バイ・ザ・シー』感想

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◼評価
 ★★★★⭐(4.2/5.0)

◼感想
 家族や大事な存在を、突然不本意な形で亡くした時、人は、今日と同じように明日が来ること、未来が当り前に続くことが、信じられなくなる。生の呆気ない幕切れを目撃した人は、より良い未来を信じることなんてできずに、刹那的にしか生きていけない状態になるのだ(たとえば、数年前の私がそうだったように)。
 それでも大抵は、時間が解決してくれる。
 だが、この映画の主人公リー(ケイシー・アフレック)は違う。何年もそんな状態から抜け出せずに、空虚に毎日を生きている。

 ボストンで便利屋をしているリーは、腕が良いのに、無愛想な態度のせいで客からの苦情が多く、上司を悩ませている。
 ある雪の日、リーの元に病気を患っていた兄ジョーが亡くなったと知らせが入り、彼は車を走らせ、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーへと戻る。
 ある悲しい事件をきっかけに故郷を離れたリーにとって、そこは居心地のよい場所ではなかった。亡くなった兄の後始末をさっさと行おうとするリーだったが、ジョーが遺言で一人息子のパトリックの後見人に自分を指名していたと初めて知り、愕然となる。
 甥の後見人になるということは、自ら離れた故郷に戻り、そこで甥が成人するまで彼と暮らすことを意味する。だが、この場所には、リーにとってはあまりにも辛すぎる記憶が残っている。
 葬儀の準備や、パトリックの面倒をみながら、今後どうすべきかリーは混乱しながら模索する。
 久しぶりの故郷で過ごすうち、リーの前にかつての故郷での記憶が時折フラッシュバックし始める。かつてのリーは、妻と子供に恵まれ、故郷で幸せに暮らしていた。常に暗く陰鬱な今の彼とは真逆の明るい性格で、友人達にも恵まれていた。
 では、一体なにが彼を変えたのか。
 そんな観客の疑問に答えるかのように、画面はリーの現在と、過去の記憶を織り交ぜて映しだす。故郷に戻って兄の後始末をする現在の彼と、幸せだった過去とかつて悲劇……現在と過去を対比するかのように、映画はリーという男の半生を語る。

 多くの映画では、回想シーンと現在のシーンとの違いが観客に明確に伝わるように、過去の回想シーンの色調や照明のキーを変えたり、回想シーン部分にフィルターをかけたり、現在のシーンと過去のシーンの繋ぎに明確な区切りをつけたりする。
 だがこの映画では回想シーンと現在のシーンの間にそのような分かりやすい区別をつけず、リーの脳内に突如浮かんだ記憶をそのまま映し出すが如く、過去が蘇る。
 過去の記憶は、現在の出来事と同じ撮り方で描写される。それはまるで、リーにとっての過去が現在と同じ時間軸にあり、まだ彼にとってそれは「過去」になっていない事を示すかのような、記憶の生々しさを伝えてくる。
 そして実際、彼は未だ過去の世界に生きている。

 社会との繋りを放棄して生きている中年のリーとは対照的に、遺された甥のパトリックは、友人や(二人の)恋人に恵まれ、クラブやバンド活動に精を出し、16歳という年齢を謳歌して生きている。彼は父ジョーの死に対しても混乱せず、死後直後でも友人や恋人を家に呼ぶなど、落ち着いている様子だ。
 パトリックのガールフレンドの親と30分の世間話も続かない中年のリーと、社交的な少年パトリックとでは、一見パトリックの方が冷静で、大人びているようにさえ見える。
 そんなパトリック相手に、後見人になったリーは遠慮なく自分勝手に行動し、故郷を離れたくないというパトリックの思いを無視してボストンで暮らすことを決め、勝手にジョーの遺した物達の後始末をしようとする。
 だが、ある些細な事をきっかけに、突然パトリックはパニック発作に襲われる。そしてその時はじめて、リーはまだパトリックが大人に守られるべき子供であることを実感する。
 そこから、リーはパトリックに対して、彼の為に自分ができる最善の事を考え、行動し始める。

 一方で、頑なにボストンで暮らすことを譲らないリーに対して、パトリックは反抗する。リーの方が故郷に戻ってくるべきだと主張し、何年も行方知らずだった母と連絡を取り、会うことを決める。
 だが、母とリーという、本来は頼るべき大人も、一人の弱い人間でしか無いことを、パトリックは知ることになる。
 ある時、パトリックはリーの過去の写真を見つけたことをきっかけに、リーの心の傷がまだ癒えていないこと、故郷のこの場所で暮らすことが、リーにとって苦痛でしかないことを察する。
 そして、反発しあっていたリーとパトリックは、だんだん互いを理解し、相手のどうしても譲れないものを尊重する決意をする。

 映画の終盤、リーの元妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)は、同じ悲劇を経験した者として、リーに対する過去の行いを謝る。赦しのはずのその言葉は、しかしリーにとっては救いにはならなかった。
 彼女の言葉によって、リーは頑なに蓋をしていた悲劇の記憶を、再び甦らせてしまう。

 「乗り越えられない」というリーの呟きは、あまりにも重く、私に響いた。
 辛い過去からの再生を描いた物語は、世の中に多くある。けれど、実際はリーのように、逃れられない過去を背負い、失った誰かの不在を心に抱えながら、生きている人達もいる。
 「乗り越えられない」という彼の言葉は、絶望の告白のはずなのに、何故か私には希望に聞こえた。
 逃れられない過去を引き摺って、それでも生きていかねばならない人がいる。皆がみな、強く生きられる人間ばかりじゃない。それは、残酷な事実のようで、私のような弱い人間にとっては、救いでもある。

 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、まさしく『わたしの映画』と呼びたくなる一本になった。