日々の泡

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ジェンダー非対称なこの世界で、「幕末Rock」が男性キャラクターの脱衣を打ち出したということ

 2月末の幕末Rock超超絶頂☆雷舞から約ひと月、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はといえば、雷舞ロスが日増しにどんどん深刻になり、いまだ魂の一部はまだパシフィコ横浜に残ったまま帰ってくる気配が無いばかりか、夜寝る前にふと再び雷舞の感動を思い出しては、目に涙を浮かべる…という情緒不安定な日々を送っています。

  ところで最近、2016年4月号の「美術手帖」の『メンズ・ヌード』特集において、「幕末Rock」が取り上げられた事がTwitter等で話題となりました。

 もともと裸体表現に関心があったのもあり、私もさっそく購入し、ドキドキしながら鑑賞しました。(ちなみにこの4月号かなり好評のようで、Amazonでは一時的に在庫切れ状態でした) 

美術手帖 2016年4月号

美術手帖 2016年4月号

 

  この「美術手帖」4月号において、BL研究家の金田淳子先生と、異色の温泉番組「メンズ温泉」を手掛けた湯山玲子さんの対談、「眼差される男のハダカ」の中で「幕末Rock」は触れられています。いわく『盛大に脱いでユーザーをもてなす作品』として、金田先生が下記のように紹介されています。

たとえば、ゲームの幕末Rockでは(中略)、演奏を始めると服が脱げるんです(笑)。裸自体はとくに嬉しくないけど、「心ゆくまで楽しんでくれ」っていう制作陣のもてなしに好感がもてる。(2016年4月号「美術手帖」p.63より)

 美術手帖のつるつるとした手触りの良いページを捲っている時、ふと、ある感覚が指先から蘇ってきました。

 それは、初めてアニメ「幕末Rock」で脱衣を観た時の、稲妻が落ちたような感覚―…平らな液晶テレビ画面に、突如キャラの服が弾け飛び、主人公の坂本龍馬の肌が現れた瞬間。その衝撃を、今回私は美術手帖を読んで、まざまざと思い出していました。

 「そこまで?」「服が脱げただけで?」と思われるかもしれませんが、実際、私にとっては頭を鈍器で殴られたような鋭さがありました。

 それにしても、いったいあの時、私は何に対してあんなに衝撃を受けたのだろう…。美術手帖の記事をきっかけに、すこし立ち止まって考えてみることにしました。

 

幕末Rockの脱衣とは」

 前述のとおり、2015年夏にアニメ版「幕末Rock」と衝撃的な出会いを果たした私は、その後原作であるゲーム版「幕末Rock」をプレイし、その続編である「幕末Rock超魂」、そしてその他メディア派生作品を辿り…秋になる頃には立派な贔屓(と書いてファンと読む)へと成長を遂げました。

 このブログを読んでいる方は幕末Rockの事を既に十分ご存じかと思いますが、敢えて「脱衣(と書いてパージと読む)」についてここで触れておきます。

 「幕末Rock」シリーズは、2014年2月27日にマーベラスAQLから発売されたPlayStation Portable用ゲームソフトから始まります。その後同年夏にアニメ化、そして秋には続編ゲーム「幕末Rock超魂」が発売されます。更に同年年末には舞台版である超歌劇(ウルトラミュージカル)が上演され商業的にも好評を博し、更に更に、その翌年2016年夏には超歌劇が再演され、現在に至る…というのが、大体の流れです。(ちなみに作中でキャラの歌・声を担当された声優さんが出演されたライブも過去二回開催されています。前回のブログではレポを書きました。)

 さて、そのストーリーについて。舞台は、300年の長きに渡り徳川幕府が天歌泰平(ソング・オブ・ピースフル)による支配を続ける幕末の世。天歌(ヘブンズソング)以外の音楽を禁じられた世界で、主人公である坂本龍馬はギター一本を片手に、ロックご禁制の風が吹く京へと上ってくる。そこで志士(ロッカー)である桂小五郎高杉晋作や、幕府公認愛獲(アイドル)新選組土方歳三沖田総司に出会い、歌の力により世界を変えていく…というお話。

※突然ですが、ここまで説明して「イマイチ分からん」とか「ちょっと気になるな…」と思った未プレイの方は、現在スマホ版がありますのでDLして是非プレイされる事をお奨め致します(幕末Rockはいいぞ☆)。*1

 そんなわけで、ゲーム「幕末Rock」では、物語が進むアドベンチャーゲームと、キャラソンに合わせてボタンを押して得点を稼ぐリズムゲームという、二つのパートによってストーリーが進みます。そして服が脱げる脱衣(パージ)は、このリズムゲーパートの中で起こる現象です。

 ユーザーがタイミングよくボタンが推すことで「シャウトレベル」がどんどん上がっていき、その得点によって「シャウトレベル1」から大胆な脱ぎっぷりの「シャウトレベル4」まで変化していきます。*2

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 このように、原作ゲーム本編において主人公である坂本龍馬ら男性キャラクターが脱衣(パージ)する場面は限られており、実はほんの一部です。しかし、アニメ版のEDや各イベントのキービュアルやグッズなどでは、脱いでいるキャラ絵が多く、公式側の「男性キャラの裸を推していこう」という気概がビンビン伝わってきます。*3

 それにしても、なぜ私は「幕末Rock」の脱衣にそんなに衝撃を受けたのでしょうか。

 ストーリーと関係の無い所でいちいちキャラが脱衣するということ。それは、昨今の男性向け作品(特に萌えアニメ等)ではありふれた描写です。昔から脱衣麻雀ゲームなんかもありましたし、ラノベ原作の萌えアニメだと、大体開始3分位でヒロインがパンチラ等のラッキースケベをキメてくれます。

 しかし、それはあくまで女性キャラクターの話。服が脱げるのが男性キャラクター、特に女性向け作品であれば、話は違ってきます。

bitecho.me

 美術手帖 2016年4月号の冒頭に掲載されている「Editor's note」では、男性ヌードについて下記のように述べられています。

メンズ・ヌードと対になるのは本来、ウィメンズ・ヌードだろう。でも、ヌードという言葉自体に女性の裸体(ウィメンズ・ヌード)を連想する人が多いのではないだろうか。ここには裸体にまつわる女性と男性の非対称性がある。

 現在の日本の社会では、女性の身体を消費する事と、男性のそれを消費する事。一見性別を入れ替えただけの行為が、同じように受け止められ、行われていません。そしてそこから、性的消費をめぐるジェンダーの非対称性が見えてきます。

(これから先は「消費」という単語を多用しますが、これは一言で言えば「他者をその人の承諾のあるなしに関係なく、コンテンツ化して楽しむ」の意で使用します。)*4

 ジェンダー非対称な世界」

 普段私を取り巻く日常の光景を見渡してみると、コンビニでは男性向けエロ本やエロ漫画誌が置いてあり、電車のつり革広告には水着グラビア広告があるくらい(最近は減ったけど)、女性の裸体を消費する目線にあちこちで気づきます。

 しかし、コンビニには女性向けエロ漫画は一冊も置いていませんし(レディコミがたまにある)、電車内の広告で男性の半裸のグラビアを目にする機会もあまりありません(たまーに某女性誌の特集を目にする)。

 様々なセクシャリティ/性別の人が存在している公の空間に、女性の身体を消費する目的のモノ、つまり特定のセクシャリティの人だけが楽しめるものが、侵入を許されている。そういう光景を日常的に目の当たりにしていると、女性性を性的に消費する事は、ずいぶん社会から容認されてるんだな、と感じます。

 そしてその一方、公空間では男性を性的コンテンツにしたものを目にする機会が極端に少ない…。女性性を消費する表現物の氾濫ぶりに比べると、あまりに少なすぎて、男性の身体への性的なまなざしというものは、この世界にはそもそも存在しなかったかのように思えたりもします(もちろん、実際にはあるにも関わらず)。

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 美術手帖を見ながら、なぜ現代では男性の裸体がアートの対象とされる事が少ないのかについて、個人的に思う理由がいくつかあります。その一つには、男性の裸体=嘲笑の対象、という大衆の総意があることで、男性の裸体が低俗なものであるとの認識があったせいではないか、と思います。

 男性の裸体は、美やエロスの対象というよりも、しばしば現代社会の中で、嘲笑の対象として扱われてきました。実際、今でもテレビ等大衆向けメディアで目にする男性の裸体は、セクシーな局面ではなく、お笑い番組等で笑いの対象として登場する事が多いかと思います。

 低俗である=描く価値が無いもの、描いても価値を認められないものという認識が、芸術や文化的な表現において、男性の裸体表現を生み出す事を阻害していた面があるのでは無いでしょうか。

 同時に、男の裸体が嘲笑の対象となる時、嗤われているのは男性の裸体そのものだけではないように思います。男性の裸体が嗤われる時、それを欲望の対象とし、価値を認める人々をも、世間は嘲笑しているのではないか。つまり、男の裸体を下劣で価値が無いものとして蔑むことにより、それを性的な目で見る人々をも嘲らっているのではないか…と私は感じる瞬間があります。

 そして更に、男性の裸体を性的に消費する人々が、異性愛者の女性やゲイであり、社会的にマイノリティの立場であるということ…意見を封じ込めるのが比較的易しい人々である事が、男性身体への欲求を更に見えにくくしています。

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  また、女性の側にも、男性の身体を消費する事に対して、自らブレーキをかけようとする心理があるようです。

 その背景の一つには、「男性の身体を消費していると他人に知られる事は、消費する女性にとってはリスクになりえる」からだと思えます。

 先程、「公共空間では男性を商品にする女性メディアをあまり見掛けない」と書きましたが、実際には女性向けの男性アイドルや男性俳優を特集した雑誌や、BL雑誌等、男性を性的な目で追いかけているメディアや作品は数多くあります。しかしそれは多くの場合、欲しい人が探さないとアクセスしにくい場所に置かれています。日常生活でそれを求めていない人がうっかり遭遇する事は、たまにあっても、男性向けのそれよりはかなり少ないと思われます。

 女性が世間で「いやらしい」とされるもの、エロいものを消費している事がバレると、おかしな事に、今度はその女性が「エロい女」として消費の対象にされる事があります。エロい女なのだから欲望をぶつけてもいいと思う人はいて、そういう人に自分が性的コンテンツを消費している事がバレると、ハラスメント等の対象にされてしまったりすることがある。

 そういう危険性から、自分が欲望を持っているという事を隠そうとする心理が働き、たとえ自分が欲しい性的コンテンツが目の前にあっても、人目につく場所であれば、手を伸ばそうとしない事が多くあります。

 

 また二つ目に、「女性が男性を性的に消費する時、どこか罪悪感を覚えてしまう」人が、少なくないという事があります。

 たとえ自分と無関係の他人やフィクション世界の事であっても、自分と同じ属性を持つ対象が、他人から性的消費されるのを目撃する時、不快感を覚える事があります。

 実際自分の過去を振り返ってみると、高校生位の頃に自分と同じ年頃の少女たちが「女子高生」としてカジュアルに消費される現象は、当時相当気持ちが悪く感じていましたし、当時、電車の中で顔をジロジロ見てくるおじさんの視線を感じるたび、吐き気を催していました。

 女性には、成長の過程で「望まない形で他人の性的消費の対象になる時の不快感」を経験した人が多く、それを知っているからこそ、他者を性的消費しようとする時、罪悪感を覚えてしまう人が多いのかもしれません。

  私は日頃BL等の女性向けメディアでさんざん男性性を消費していますが、それでも上述のような社会の風潮に息苦しさを感じてきました。

 たとえば面白い一般向け漫画やアニメやゲームに出会った時、爆発的な萌えを体験しながらも、男性キャラを性的で目で見ることに、どこか引け目を感じる瞬間がありました。

 「その抑圧自体が間違いなのだ」「それは偏見を捨てきれない自分の弱さだ」と思いながらも、その消費の仕方が「正しくない」のではないかと自問し、心の底から楽しめない事があったのです。

 

ジェンダー非対称なこの世界で、「幕末Rock」が男性キャラクターの脱衣を打ち出したということ」

 しかし2014年に運命的に出会った「幕末Rock」という作品は、私のそんな戸惑いを、一瞬で吹き飛ばしてくれました。

 「幕末Rock」は、脱衣という表現を打ち出すことにより、男性裸体への欲望を全面的に肯定してくれたのです。

 ジェンダー非対称なこの社会において、幕末Rockが脱衣という概念を全面に推したということ、「どんどん男性キャラの裸体を消費しちゃってOK!」というメッセージを発したことは、私のような人間にとっては、大変意義がありました。

 制作側が明確に男性裸体を消費する事を推奨しているのですから、贔屓(ファン)である自分が後ろめたさを感じている場合ではありません。むしろ出されたサービスを積極的に受け取る事こそ、贔屓として推奨されるべき姿勢。だとすれば、私はどんどんそれに乗っかって行こうじゃないか…と思うようになりました。

  「男性キャラクターが脱ぐこと自体が嬉しいのか」と問われると、自分は必ずしもそうではないと答えるでしょう。

 しかし、女性の性的な欲望が無いように扱われ、男性性を消費する事に息苦しさを感じる事が多い社会で、男性の脱衣を打ち出し、その欲望を承認するという作品があるということ―…それは非常に革命的であり、だからこそ「幕末Rock」という作品には、必ず「脱衣」が必要である。私はそのように思っています。

 

 …と、ここまで脱衣の事ばかり語ってきましたが、実はそれは「幕末Rock」の魅力のほんの一部に過ぎません。

 主人公の坂本龍馬らが仲間を得て成長し、音楽の力で徳川幕府の支配を破っていくというストーリーは少年漫画的な熱さがありますし、ゲーム内のロック曲は既存のキャラソンという枠を超えるレベルのクオリティですし、各キャラクターは皆それぞれの物語を背負っており、プレイする度に新たな発見があります。またアニメや舞台などの他メディア化作品もそれぞれの魅力があり、ここで「幕末Rock」の良さの全てを語る事はできません。

 もしここで未プレイの方がいらっしゃれば、ぜひ一度プレイをして頂きたい。現在はPSPPSvitaのみならず現在はスマホ版もリリースされているため、気軽に気軽にDLすることができます。*7

 興味を持たれたら、ぜひやってみて下さいね。幕末Rockは、いいぞ。

 

 

 

 

<おまけ>

 ところで、ゲーム「幕末Rock」は発売当初、恋愛要素が無いにも関わらず、「乙女ゲーム」として名乗りを上げていたという過去があります。

 「幕末Rock」はストーリー的には少年漫画的な熱さがあり、また絵柄や曲も女性向け作品によくあるようなキラキラ感や甘さは控えめで、女性のみならず様々な層のユーザーが楽しめる懐の広い作品です。その為、当初乙女ゲームとして世の中に喧伝された事は、マーケティング的には失敗だったのでは…という意見を目にすることがよくあります。

 確かにこの宣伝方法により幅広いユーザーへのアピールを失った面はあるかと思いますが、私はこの「乙女ゲーム」として作品を打ち出したことは、公式からの「この作品を女性ユーザーに楽しんでほしい」という強い意志の表われだと解釈しています。

 この点、美術手帖に『盛大に脱いでユーザーをもてなす』と評されていたのは非常に言い当て妙で、乙女ゲームと名乗っていたのも「女性ユーザーに喜んで貰いたい」という意思が働いた結果なのかなあと思うと、なんだか好感が持ててしまうのでした。

*1:幕末Rock 公式ポータルサイト

*2:ただしPSP版は3まで

*3:先月2016年2月28日にパシフィコ横浜で開催された「超超絶頂★雷舞」でも、裸を全面に推したキービジュアルが発表されました。

*4:ざっくり過ぎるかな…と思ってネットの海を検索したら、私の定義と非常に近い定義をされてる方を発見しましたので、ここでいう消費、性的消費の詳細な定義はこちらを拝借させて頂きます→https://twishort.com/Ltuic

*5:グイド・レーニの「聖セバスティアンの殉教(1615-16)」。聖セバスティアンはルネサンス期によく描かれた男性裸体の主題であり、後にゲイ・アイコンとなった。

*6:ピエール&ジルの「メルクリウス(2001年)」

*7:公式サイト http://bakumatsu.marv.jp/sp/ スマホの無料版もあり一話を試しにプレイすることができます