日々の泡

映画や本の感想、日々の出来事について

【映画】私的「この映画がすごい!2017」ベスト20

 遅ればせながら、2017年に観た新作映画で、心に残った20本をランキングという形で公表することにした。
 基本的に、私は映画は劇場で観たい人間で、尚且つ、常に新しくて面白いものに飢えている。いま私たちを取り巻く世界は、あらゆる分野で目まぐるしく急速なスピードで変化が起こり続けている。少し前までは新しかった表現や価値観が、二、三年後には古臭く感じられてしまうような時代だ。そんな世の中で、クリエイター達は常に時代の先を読み、価値観をアップデートし続け、挑戦的な作品を発表している。だから私は、彼らのそんな姿勢が観たくて、時間を作っては劇場に通うのだ。
 ざっと数えてみれば、今年公開された新作映画で観たのは120本弱。そのなかで、印象に残った映画のタイトルを以下に列挙していく。*1

 ランキングという形を取ってはいるが、映画として総合的に優れているかという観点だけで、順位をつけたのではない。そもそも、素晴らしい映画にはそれぞれ作品特有の持ち味がある故、単純に出来の優劣で作品を比較するのはナンセンスで傲慢だと感じる。

 重視したのは、私個人の感性をどれだけ深く刺激したか、 今の時代や価値観と向き合った作品であるか、挑戦的な表現やメッセージ性を打ち出した作品であるか、そして私の「作り手を応援したい」気持ちが強いかどうか。*2そういった観点から以下の作品を選出した。ちなみに何故20本かというと、単純に10本では少なすぎて選べなかっただけである。

20位 『光』(河瀬直美監督)

f:id:mayringooo:20180107175940j:image
 以前に書いたブログ記事はこちら。
http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2017/06/02/205238
 観賞後しばらく経過した今も、この映画の「光」の暖かさと優しさを時々思い出す。映画でありながら、聴覚で鑑賞するという得難い体験をした印象深い作品。

 

19位 『はじまりへの旅』(マット・ロス監督)

f:id:mayringooo:20180107180352j:image
 以前に書いたブログ記事はこちら。

http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2017/04/13/213312
 カンヌで「ある視点部門」を受賞した作品。現代社会と隔離された森の中で生活を送る家族が、母の死をきっかけに旅に出るストーリー。原題のCaptain Fantasticは、ヴィゴ・モーテンセン演じる一家の父親ベンのことを指す。風変わりな一家のコメディ的なロードムービーかと思いきや、観る人の価値観に疑問を投げ掛ける、社会的テーマを根本に据えた挑戦的な作品だった。
 つい最近まで、インターネットやSNSの普及により、世界は一見フラット化したように見えていた。だが実際は、寧ろそれによって文化的な衝突は日々起こりやすくなっており、人々の所属するコミュニティ間の差異が可視化されるようになった。そんな時代だからこそ、この作品が提起したテーマには大きな価値があるのだと思う。

 

18位 『マグニフィセント・セブン』(アントワーン・フークア監督)

f:id:mayringooo:20180107180824j:image

 『七人の侍』、『荒野の七人』を原案にした本作。個性的な七人のアウトロー達が、虐げられる無力な人々の為に立ち上り戦うという、原案元作品のストーリー的土台はしっかりと残しながらも、現代的な熱いエンターテイメントに仕上がっている。特にキャラクター造形と、関係性の掘り下げが素晴らしく、主役七人が並ぶだけで画面に釘付けになる。各キャラクターの性格に合わせた戦い方が設定付けられているせいか、目まぐるしく続くアクションシーンの中でも各人の小さな物語に目がいく。
 強いて不満を言うとすれば、フークア監督のデンゼル・ワシントンへの愛が深すぎて、他のキャラクターが小汚ない格好をしている中、一人皺の無い完璧な装いをしているのが、個人的に気になった。
 西部劇とはいえ、現代的な価値観に照らして様々な点をアップデートしている。ただし、女性の描き方や、当時の時代背景に照らすと気になる細かい点は残った。
 だがいずれにしろ、本作は今年最高のエンターテイメント作品の一つで間違いない。

 

17位『スパイダーマン・ホームカミング』(ジョン・ワッツ監督)

f:id:mayringooo:20180107180952j:image
 長編映画監督三作目にして、マーベル大作映画に抜擢されたジョン・ワッツ監督は、これまでのスパイダーマン像とは異なる、等身大の高校生ヒーローを打ち出し、成功を収めた。トム・ホランド演じるピーター・パーカーは、特殊な能力を持つとはいえ、あくまでもまだ十代の子供であり、大人に守られるべき存在として描かれている*3。アイアンマンことトニー・スタークに認められるようなヒーローに早くなりたいという焦りから、無謀で命知らずな行動に出るピーターは、高校生主人公だからこその危うさがあり、そこがキャラクターの魅力になっている。一人前のヒーローに早くなりたいがあまり、自分を見失いつつあった彼は、承認欲求からではなく、本当に自分が守りたいものを見つけ、その為に戦うことになる。
 ヒーローの誕生物語であると同時に、少年の成長を描いた傑作映画だった。舞台をニューヨークのクイーンズにし、人種的多様性を盛り込んだのも、まさしく今の時代ならでは。
 それにしても、2017年はアメコミヒーロー映画の当り年だった。今回選んだ20作品には入れられなかったが、『LOGAN ローガン』や『ガーディアンズ゙・オブ・ギャラクシー:リミックス』、『ワンダーウーマン』等も素晴らしかった。2018年以降も数多くのアメコミヒーロー映画の公開が控えており、楽しみにしている。

 

16位 『女神の見えざる手』(ジョン・マッデン監督)

f:id:mayringooo:20180107180556j:image
 天才ロビイストである本作の主人公を演じたジェシカ・チャスティンは、スクリーンの中と外、両方の面で個人的に2017年最も印象に残った女優だ。今のハリウッド映画界において、知的で洗練された女性を演じさせれば、彼女の右に出る者はいないのではないか。
 そして、畳み掛けるように次々と繰り返す策略と裏切りの応酬、予想外の事件、そしてラストのどんでん返しに至るまで、全く観客を飽きさせる事のないストーリー。この完璧な脚本を書いたのは、元弁護士で今回が初映画化作品(!)というジョナサン・ペレラ。
 最高の主演女優と、最高の脚本が結び付いて出来上がった本作が、面白くならないはずがない。
 ロビー活動という、日本では馴染みが薄い仕事を主に描いているが、全くロビイングの事を知らずとも、観客は野心的で敏腕な主人公エリザベス・スローンの振るまいから、彼女が身を置く世界へ引きずり込まれる。
 主人公エリザベスにとって、ロビイングとは常に相手の手の先を読み、相手が手持ちのカードを見せたその瞬間に、相手の急所を捉えたこちらのカードを呈示することである。そして実際、彼女は圧倒的力を持つ相手を前に、何度をそれをやってのける。しかし、彼女のあまりの敏腕さと、勝つためなら手段を選ばないそのやり方に、敵側は彼女を公の場に出すことで潰そうとし、味方側からも距離を置かれるようになる。だが、その情況に陥ることすらも彼女の計算だったかのような、ラストはまさに衝撃的。今年もっともスリリングな知的興奮を味わった作品。

 

15位 『夜明け告げるルーのうた』(湯浅政明監督)

f:id:mayringooo:20180107182727j:image
 音楽とアニメーションが溶け合い、映像的幸福感に満たされた作品。
 ストーリーは寂れた港町に引っ越して来た主人公カイが、音楽を通して知り合った人魚ルーによって、心を開いていくシンプルな物語が主軸になっている。しかしその背後には、人魚を利用として町を活性化させようとする大人達の企みや、海という絶対的な自然に対する人々の恐怖が描かれており、主人公カイとルーは人間vs自然の対立に巻き込まれていく。
 彩度の高い色使いや、独特の絵柄は最初とっつきにくさを覚えたが、音楽や音に合わせ、生き生きと動くキャラクター達によって作られる世界観は唯一無二で、実に魅力的。
 観終えた後は、こんな美しい世界を生み出してくれたこと、そしてそれを劇場で体験できたことに、幸せと感謝の気持ちが溢れて止まらなかった。

 

14位 『マイティ・ソー バトルロイヤル』(タイカ・ワイティテイ監督) 

f:id:mayringooo:20180107181150j:image
 マイティ・ソーシリーズ三作目にして、これまでとは打って変わったコメディ路線に大きく舵を切った本作だが、それが個人的に気に入った点。
 姉である死の女神ヘラの登場によって、故郷アスガルドは破滅の危機に陥り、軍隊は潰され、またソーも別の惑星に飛ばされるなど、かなりの窮地に陥るのだが、隙あらばねじ込んでくるギャグの数々のお陰で、深刻なムード一辺倒にはならず、肩の力を抜いて楽しめる作品となっている。また、これまで対立していた弟ロキとの共闘、アベンジャーズからハルクの参戦、新キャラのヴァルキリーの協力など、個性の強い仲間達と、チームが結成されていく展開は王道ながら胸が熱くなる。ケイト・ブランシェット演じる悪役ヘラのキャラクター造形も完璧。
 演出面では、こんなのアリ⁉と思うような変化球を時々投げてくるのだが、ヒーローものとしてのツボは確実に外さない。そこに監督の職人気質を感じた。
 また、タイカ・ワイティテイ監督はスパイダーマン・ホームカミングのジョン・ワッツ監督と同様、本作が初の長編大作という事実に驚く。MCUはどうやって、まだ見出だされていない実力派監督を発掘しているのか。そのスカウト手腕の秘密が知りたい。
 ちなみに、ファン達は原題の『ソー・ラグナロク』の方をタイトルとして呼んでいるので、私も原題の方で呼んでいる。『アベンジャーズ・インフィニティウォー』で、ソーがスパイダーマンら他のヒーロー達と共演するのが楽しみでならない。
 最後ひとつ。映画の中で随所に盛り込まれるコメディシーンが面白いのだが、そもそもタイカ・ワイティテイ監督本人がかなり面白い人物だと気づいた。監督なのに本人が演じるキャラの出番が多すぎるし、インタビュー等で写真や動画を目にすると、役者以上に監督本人が(独特のファッションセンス含め)いつも目立っており、関西人の私は毎回ツッコミたい衝動を抑えている。そういう意味でも、今後のワイティティ監督に注目していきたい。

 

13位 『彼女がその名を知らない鳥たち』(白石和彌監督)

f:id:mayringooo:20180107181237j:image
 日頃無意識に目を反らしている問題を、目の前に突き付けてくる作品だった。
※簡潔にまとめようと思ったが、長文になってしまった為、後日別エントリで感想をUPする。

 

12位 『ドリーム』(セオドア・メルフィ監督)

f:id:mayringooo:20180107181315j:image
 原題の『Hidden Figures』の通り、科学史の影に隠された、三人のNASAの黒人女性科学者達を描いた作品。実際の当時のNASAよりも、差別的な待遇を誇張して描いてはいるものの、まだ人種的にも性的な面でも強固な差別が残っていた時代が舞台。女性であり黒人であるという、二重のマイノリティ性を背負いながら、自らの努力と知力で、それまで前例がなかったキャリアを切り開く女性達。その勇敢な姿は、現代で働く女性である自分をもエンパワメントしてくれる。

 社会的なテーマを中心に据えているが、音楽や随所に散りばめられたユーモアによって、決して暗くなりすぎず、エンターテイメントとして楽しめる作品になっており、そのバランス感覚が絶妙。
 未だに日本では自分達のロールモデルを身近に見つけられずに、将来のキャリアについて悩んでいる女性達が多い。特に大学の工学分野では、依然として女性の進学率が低いが、この映画によって、理系に進みたいと思う少女達が増えるのではないかと思う。
 また個人的な話になるが、この映画を観た時、主人公達と今は亡き私の母の姿が被って見えて、心が締め付けられた。母は「四大卒の女性は就職できない」と言われていた時代に、よりにもよって工学部数理学科を卒業したハードコア理系女子である。そして私の妹も、工学部建築科を卒業し建築士として働いている。そんな環境で育った為、私は大学の進路選択等に関してジェンダーバイアスを感じずに生きてこれた。よく「共働き家庭の子供は不幸だ」と偏見を向けられがちだが、社会人になったとき、最も身近な同性である母親が、働く女性としてのロールモデルであると気づいた時に、母への尊敬が深まった。この映画の主人公の子供達も、きっとそう感じただろう。
 また、更に個人的な話だが、私は大学卒業後に大手IT企業に就職し、WEB系システムの開発SEとして四年間働いた経験がある。その為、映画中にメインフレーム・コンピューターであるIBM7090や、最初に標準化されたプログラム言語であるFORTRANが出てきたシーンを観て、非常に感慨深さを覚えた。
 思えば、日本でもほんの百年ほど前まで、女性は大学に入れなかった。*4 また、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法第24条において、両性の平等が明記され、日本の女性達は選挙権を得たが、その背後にはベアテ・シロタという一人の女性の尽力があった。
 そんな風に、現代を生きる女性の私は、いつも誰かの築いた前例の上に立っている。科学や学問、労働の世界において、「無名の彼女達」が切り拓いた道の後ろを歩んでいる。この映画が、それを気づかせてくれた。

 

11位 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー監督)

f:id:mayringooo:20180107181413j:image
 ヒーロー物語には二面性が付き物だが、この映画の主人公も例外ではない。普段は田舎の会計士として働くクリスチャン・ウルフだが、実は裏の顔を持っている。一見、ポスターを見ると、二面性を持つ男が主役の、単なる地味なアクション映画に見えるかもしれない。だが、この映画は展開が進むうちに、ジグソーパズルのピースが徐々にはまっていくように、主人公を巡る幾つもの謎が明らかになっていくという、スリリングで予想外の展開が続く、練られたストーリー構成になっている。
 物語は田舎の会計士であるウルフに、大企業から財務調査の依頼が来たところから始まる。調査に赴くと、社員のディナが、帳簿上おかしな点を見つけたのがきっかけで、会計士であるウルフにこれまでの帳簿を見てほしいという話だった。膨大な帳簿を何冊も調査して、意図的な操作の痕跡を見つけた時、突如会社は財務調査を打ち切る。そして、ウルフとディナの身に危険が迫るが、ただの会計士として思われていたウルフは、牙を向けて来た敵達に裏の顔を見せ、彼の逆襲が始まる。そして、敵達がウルフを追っていく中で「クリスチャン・ウルフとは一体何者か?」が浮き彫りになっていく。敵が彼を追う過程で、欠けていたピースが徐々に合わさっていくように、ウルフの人間像が見えてき、いくつものどんでん返しが始まる。
 ポスターなどでは明記されていないが、ウルフがヒーローとして新しいのは、彼が二面性を持つからではなく、自閉症スペクトラム(ASD)*5であるという点である*6。実は、彼が驚異的な身体能力と、社会で会計士として活躍できる力を得たのも、この点が鍵となっている。幼い頃、発達障害児である彼に、この世界で生きていく力を与えようと、父親がある施設を訪れた所から、彼の物語は始まっていた。
 父のお陰で屈強に成長し、ASDの特性をハンデではなく才能として開花させ成長したウルフだが、それでも発達障害者特有の生きづらさ、つまり他者とのコミュニケーション面でハンデを抱えて生きている。更に、彼の裏の仕事人としての顔が、他人との距離を広げ、孤独に生きるしかない宿命を彼に背負わせる事となっている。
 一緒に敵に追われる境遇となり、不器用なウルフはディナと距離を縮め、互いの心を交流させていく過程は、私の心を打った。他者との交流面にハードルがあるASDのウルフが、普通の定型発達の女性であるディナと、障害の壁を超え、感情を共有することができる場面を描くこと。それにより、この映画は発達障害当事者に対して、ポジティブなメッセージを発信している。
 私自身も発達障害当事者(ADHD)ということもあり、本作品を贔屓目で見てしまっている点があるかもしれない。最近の日本では(良くも悪くも)発達障害者の存在が急速に認識されつつある。しかし、私が幼い頃はまだ理解が進んでおらず、昔診断を受けた際も発達障害とは診断されず、20歳を超えて二次障害の発症をきっかけに発覚した。今も毎日薬を飲んで、定型発達の人と同じように就労しているが、その薬も日本で認可されたのは、ほんの数年前のことだ。私は障害が比較的軽度であることや、周りの環境や、親や友人達の理解に恵まれていたお陰で、*7人並みに進学・卒業し、何とか自分なりのライフハックを身につけ、自立して生活できている。だが多くの発達障害者は、人と違う長所を持っていても「普通の人のごく当たり前のこと」が出来ずに生きてきた為、自己肯定感が低く、学校や職場からドロップアウトしがちで、定型発達者より就労が困難だったりする。
 発達障害を取り巻くそんな状況の中で「ザ・コンサルタント」が打ち出したテーマには、単なる新しさ以上の社会的意義があると思っている。しかも、エンターテイメント作品と観ても、十分に面白い作品だ。以上が、私がこの作品を推す理由である。
 

10位 『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト監督)

f:id:mayringooo:20180107181444j:image
 CGをはじめとした最新テクノロジーによって、近年のアニメーション映画の表現はどんどんリアルな方向へと進化している時流の中で、本作品はストップモーションアニメという、古典的かつ職人的な制作方法を撮っている。観る前は、なぜそんな手間のかかる方法を選択したのか、理由が分からなかった。だが、映画が始まり、動き回るキャラクターや、物語の中の風景や自然、生き物や光や影……それらが一つの調和した画となって、連続した映像として動き始めたとき、驚きと陶酔感が、胸のうちに込み上げてきた。
 「animate」という単語が、ラテン語で「魂、息」を表すanimと「する」を表す接尾語-ateと合わさり、"命を吹き込む"という意味になったように、アニメとはキャラクターに魂を宿すことである。そして、まさしくKUBOがやった事はこれなのだ。
 今さら言うまでも無いことだが、一般的なアニメーションは、二次元的に描かれた画を何枚も重ねるという事で、キャラクターや背景が動いているように見せている。しかし、ストップモーションアニメは、実際にキャラクターの人形(ひとがた)を作り、町を作り、自然を作り、実際に照明で光を当てる。それらを動かし、その瞬間瞬間をカメラで捉え、連続した映像を作り出す。映像になったものだけを観れば、本作品は二次元の枠にはまっているのだが、このような方法で制作されたKUBOには、動くものそれぞれに「本体」が存在する。三次元の本体が実際を動かすことによって、二次元のアニメーションが生まれる。ストップモーションアニメは、動かない「本体」達にこのようにして、命を吹き込む。
 私が本作品を観た時に感じた、映像に対する驚きと陶酔感は、おそらくここに由来している。明らかに人の手によって作られたと分かる、温かみのあるキャラクターや風景が動くことにより、目の前で絶えず世界が創造されているような感覚。おそらく、これがKUBOの作り手達がストップモーションアニメにこだわった理由ではないだろうか。
(※以下ストーリーの内容を含みます)
 また、ストーリー面では主人公であるKUBOが、まるで「平家物語」を語る琵琶法師の如く、音楽に乗せて物語を語る語り手である事という設定が秀逸だ。本作品の中では、何度もstoryという単語が出てくる。限りある命を生きる人間は、永遠を手にする事はできない。だが、思い出は、storyという形で歌い継ぐ事によって、後世に残っていく事ができる。それがKUBOの二本の弦の秘密のことであり、この映画のメッセージなのだろう。

 

9位 『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督)

f:id:mayringooo:20180107181613j:image
 パターソンという街に住む主人公のパターソンの一週間を追った作品。
 パターソンの一日は、毎日妻と寝ているベッドから起きるところから始まり、バス運転手の仕事に行き、昼は持参のランチを食べ、夕方に帰宅した後は、夜ブルドッグのマーヴィンを連れて散歩に出掛け、帰り道にバーで寄り道をする。
 常に何か新しいことに挑戦しようとする妻とは対照的に、一見変わり映えのない毎日を繰り返しているパターソン。しかし、彼は豊かな感受性を持っており、日々ノートに詩を書き留めている。
 毎日が同じように繰り返される事を予期させるかのように、カメラは朝パターソンのベッドを俯瞰で捉えたショットで始まる。そして同様に、自宅の前、通勤途中の道、犬の散歩道、バーの前といった、毎日彼が通る場所を、定点観察のように毎日同じ角度から撮る。しかし、そんな同じ場所の同じ角度で見えてくるのは、繰り返される日常風景ではなく、毎日の小さな変化である。
 パターソンの感性は、そんな毎日のちょっとした変化を捉え、少しずつ詩を紡ぎ出していく。ふとすれば埋もれてしまいそうな、かすかな瞬間を、パターソンという存在を通して見ることで、決して毎日は同じではなく、日々起こる小さな奇跡を体験する。
 日常のかけがえのなさを体験させてくれる、不思議な温かさを感じる作品だった。

 

8位 『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト監督)

f:id:mayringooo:20180107181702j:image
 劇場から出た瞬間、パンフレットじゃなく、サントラを買いに走った映画は初めてかもしれない。個人的に今年のベストサントラ賞*8
 冒頭の『ベルボトムス』に乗せた格好良すぎるカーアクションから、映画の世界に引摺りこまれ、次に、主人公BABYがコーヒーを買いに行く時の、音楽に乗せた長回しシーンで、完全にハマった。
 本作品は、ストーリーやカーアクションありきで音楽を選ぶのではなく、明らかに音楽ありきでシーンが撮られている。今年のミュージカル映画といえば『ラ・ラ・ランド』が話題で、確かに素晴らしい傑作だったのだが、映像と音楽が融合した瞬間のシナジーが生み出す、突き抜けるような最高の快感は『ベイビー・ドライバー』だけしか味わえない。
 ストーリーは、天才的な運転技術のせいで、犯罪に利用され続けるBABYが、ヒロインに出会い恋に落ち、それをきっかけに犯罪組織から手を切り、変わろうとする青春映画的な展開。リリー・ジェイムズ演じるヒロイン役のデボラの可憐さと、犯罪に加担する生活を送りながらも、どこまでも純粋で、不器用な少年であるBABYの関係が、甘酸っぱくもどかしい。
 クライムムービー+カーアクション+ミュージカル。これまでにない新しいエンターテイメントに出会えたこと、それを劇場で体験できたことを幸せに思う。B-A-B-Y BABY, B-A-B-Y BABY!!
 

7位 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ロナーガン監督)

f:id:mayringooo:20180107181813j:image
 以前に書いたブログ記事はこちら。
http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2017/05/17/172923
 たとえ自分にとって大事な存在を突然亡くしても、残された人は生きていかねばならない。では、その喪失はいつか癒えるのだろうか。いや、必ずしもそんなことはない。自分の中の一部を失ったまま、生きている人がいる。
 そんな風に、傷ついた過去を抱えて、生きていかねばならない人達に赦しを与える作品。これは私のための映画だと、観終えた時に感じた。

 

6位 『新感染 ファイナル・エクスプレス』(ヨン・サンホ監督)

f:id:mayringooo:20180107181903j:image
 原題『釜山行き』の通り、ソウルからプサンへと走る高速列車の中で起こる、ゾンビのパンデミックとサバイバルを描いた作品。ロメロ監督作品のようなノロノロゾンビではなく、『28日後』や『ワールドウォーZ』と同じく、全速力で走ってくるタイプのゾンビ。超速い列車+超速く走るゾンビ=超スピード感のあるスリリングなストーリー、という図式が出来上がっている。
 『アイ・アム・ア・ヒーロー』*9のように、私はゾンビ映画の序盤で、いつもの生活に小さな変化が起き始め、知らぬ間に日常の侵食が進んでいき、気がついた時には異常事態のど真ん中に放り込まれている……という展開が好きなのだが、その点で序盤から完璧な私好みのゾンビ映画であり、最初から最後まで夢中になって映画の世界に没頭した。
 また、本作は単なるゾンビ映画ではなく、高速列車に乗り合わせた人々達の群像劇でもある。たまたま乗り合わせた乗客達の関係や行動は、現代の韓国の格差社会や、セウォル号事件等といった事件を暗示している。ゾンビのパンデミックが、首都ソウルから南のプサンへと進行する過程は、かつての朝鮮戦争の戦況をなぞっている。ゾンビ映画というジャンルではあるものの、そこに描かれているのは社会への批判、歴史、様々な形の愛であり、非常に多層的で深みのある作品となっている。
 例えば『インサイダーズ』や『国際市場で会いましょう』、今年公開された『弁護人』など、社会的・政治的な問題や批判を堂々とテーマの忠心に据えて、それを(インディペンデント映画ではなく)エンターテイメント映画として表現できるところに、韓国映画の強みと、懐の深さを感じる。
 最近の日本映画では、商業的な映画でこのような社会批判的表現をする作品があまりにも少なく、半ばタブー化されているのではないかと疑念を持ってしまう。
 例えば、去年大絶賛された『この世界の片隅に』でさえ、尺の都合上とはいえ、日本の帝国支配の間違いに主人公が気づくシーンや、遊郭の女性達の暗い境遇を描いたシーンが、原作からすっぽり省かれている。
 日本の大作映画でも、上記のようなタブーを破った挑戦的な作品が生まれてほしいと思う。
 

5位 『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)

f:id:mayringooo:20180107182049j:image
 以前に書いたブログ記事はこちら。
http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2017/05/21/111313
 私は少女時代にSF小説を好んで読んでいた時期があり、本作ももともと原作小説のファンだった。しかし、それゆえ実写化に対する不安も大きかったが、観た後にそれは杞憂だったことに安心した。
 小説の根幹的テーマを維持しつつも、大胆な構成変化と、小説では想像し得なかったビジュアルを映像化した点が、素晴らしい。

 

4位 『ノクターナル・アニマルズ』(トム・フォード監督)

f:id:mayringooo:20180107182146j:image
 以前に書いたブログ記事はこちら。
http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2017/11/24/151930
 観る人によって解釈が変わる、万華鏡のような作品。その意味では、オリヴィエ・アサイヤス監督の『パーソナル・ショッパー』に共通するものを感じた。*10
 多くの人が感想に書いているように、主人公スーザンは、全てを持っているくせに満たされない、贅沢で軽薄でひどい女だ。だが私は彼女と自分を、別の存在として、切り離して観る事が出来なかった。
 私の中にも、スーザンのような、身勝手な女の部分が存在している気がする。だからこそ、私はラストに救済への糸口を見出だした。
 多層的で深みがあり、他の鑑賞者達と感想について話したくなる作品。

 

3位 『お嬢さん』(パク・チャヌク監督)

f:id:mayringooo:20180107182401j:image
 原作サラ・ウォーターズの『荊の城』から映画化された本作だが、舞台を英国から1930年代の日本植民地時代の朝鮮半島へと移すなど、大胆な脚色を加えている。パク・チャヌク監督は(『オールド・ボーイ』等がその典型だが)、同じモチーフや構図を、繰返し何度も別の視点や、別の人物で撮ることにより、映画の中でそのモチーフが持つ別の意味や過去、新たな真実を印象づける手法を用いてきた。だが今回は、物語を三部構成にすることで、世界を3つの視点に分断し、ジグソーパズルのような、ミステリ的要素で多角的な視点を映画で実現しようと試みている。だが、それはこの映画の魅力の一面でしかない。私が『お嬢さん』を好きなのは、女性の官能を描いた映画であること、また、女性達が支配と抑圧に反旗を翻す物語であるという点だ。
 私と同世代の映画好きな女性達の間では、本作品は90年代の名作アニメ『少女革命ウテナ』を引き合いに出して語られる事が多いのだが、まさしく『お嬢さん』は女性が囚われのお姫様を助け出し、広い世界へと飛び出すという意味において、『少女革命ウテナ』に通じるガールズムービーである。
 詐欺の一味であるスッキは、同じく詐欺の藤原男爵と手を組み、朝鮮人の叔父である上月と暮らす日本人の令嬢・秀子の元に、メイドとして奉公に出る。秀子は日本人ではあるが、幼い頃から朝鮮で育っている為、日本語と朝鮮語のどちらも解す。スッキは秀子の傍で、秀子と藤原が恋に落ちるように手を回す予定だったが、美しく孤独な秀子の境遇に同情を覚え、つい親身に接するようになる。そして二人の仲が深まるにつれ、いつのまにかスッキは秀子に想いを募らせていく。
(※以下ストーリーの核心的な部分に言及します)
 朝鮮人でありながら、日本人の名前を名乗る秀子の叔父の上月は、秀子を事実上屋敷に閉じ込め、宗主国である日本の春画やエロチックなポルノ趣味に耽り、そしてその幻想を秀子に背負わせている。上月は定期的に主催する「朗読会」で、秀子に美しい着物を着せ、自分好みの日本女性を演じさせ、出席者である紳士達に向けて、官能小説を読ませる事で、己の変態的な性欲と権力欲を満たしている。
 この朗読会を通して見えてくる構図がある。云わば秀子は、男性から女性へ、そして宗主国である日本から植民地である朝鮮へ……ジェンダーと国、二重の意味で支配と抑圧を受けている犠牲者であるということである。
 ところで、よくこの映画の欠点として挙げられる点として「出演する韓国人俳優達の日本語のセリフが分かりづらい」というのがある。しかし、私は「宗主国である日本が植民地に押し付けた言語(だった日本語)」を、朝鮮語母語とする俳優が喋り、演じる事に意義があると思っている。
 秀子は上月から命じられるがままに、彼の欲望の道具の役割を果たしてきたが、秀子自身がそれにより欲望を感じた事はなかった。上月でも藤原でもなく、彼女の悦びを目覚めさせたのは、秀子の心に寄り添おうとしたスッキであり、スッキによって秀子は自分の身体と心を解き放たれる。そして、秀子はスッキと手を取り合い、忌まわしき屋敷から逃げ出すのである。
 R18指定を受けている通り、たしかに秀子とスッキのセックスシーンは刺激的で大胆だが、男性の目を意識したポルノの撮り方とは一線を画している。最初、色事を経験したことがない秀子を導く形で、スッキが主導権を握る。スッキの愛撫を受けるうち、秀子の中に秘めていた情欲の炎が目覚め、秀子は自らスッキを求め、今度はスッキが秀子に翻弄される。そして二人はどこまでも深い快楽の渦へと沈み、互いの身体と心を一つにするのだ。ここでカメラが映しているのは、美しく絡み合う肉体の性行であるが、それによって描かれているのは、二人の関係性であり、秀子の――つまり女性の――魂と身体の解放である。*11
 国や国籍もを飛び越えて、何重もの支配から逃れた秀子とスッキは、新たな世界へと旅立っていく。二人が目指したその先には、きっと眩い光が待っている。そう願ってやまない。

 

2位 『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』(菱田正和監督)

f:id:mayringooo:20180107182450j:image
 以前に書いたブログ記事はこちら。 
http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2017/06/16/220650
 1位と2位の選出は、素直に自分の感情に従った。2017年で二番目に劇場に通って観た映画。おそらく12、13回は通った。そのうち3分の1程度は応援上映だったと思う。
 前作キンプリ以降、応援上映は他の作品でもよく企画されるようになったが、客と映画内のキャラクターの近さは、他の映画にはない。プリズムショーの客達と、映画に観に来た観客をリンクさせ、鑑賞者である私達に作品内にその存在を許す事で、キンプリシリーズは映画でありながら、舞台演劇のような一回性の魅力を手に入れた。それが私や他のファンが何回も足を運ぶ理由の一つである*12
 しかし、応援上映の話題が先行しすぎた為、キンプリシリーズはこれから続編を重ねるにつれ、それが呪縛になる可能性がある。
 監督本人が「エーデルローズ生全員がプリズムジャンプを飛ぶまでは、キンプリを続けたい」と言っている以上、私も(おそらく他のファンも)ついていくつもりだが、それには映画という媒体ではなく、やはりTVシリーズ化がふさわしく思う。
 なんにせよ、今後も何らかの形でキンプリシリーズが続いていくことを切に願っている。
※余談:ちなみに今キンプリがバファリンとコラボしているため、薬局にバファリンを買いに行った
http://www.bufferin.net/campaign_2017_winter_closed/sp/

 

1位 『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』(久保茂昭・中茎強監督)

f:id:mayringooo:20180107182510j:image
 今まで日本のアクション映画を褒める時、「日本映画の割にはアクションに力が入っている」や「日本映画の中ではアクションのレベルが高い」など、「日本映画の割には」という枕詞を付けがちだったことを、謝らねばならない時がきた。
 断言するが、本作『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』(以下ザム2)は、HiGH&LOWシリーズ(以下ハイロー)中で一番の傑作であると同時に、現時点で日本映画史上最高のアクション映画である。しかも、海外でロケをすることが出来たにも関わらず、何かと制約の多い日本国内で敢えてロケを行っている。そして可能な限りCGを廃し、あくまでも生の映像にこだわった臨場感のある画作りに徹している。
 例えば、映画の始まりのシーンでは、鉄骨剥き出しの工場の高所から、次々とキャラクター達が飛び交う様子が広い画で捉えられている。場所の特性と演者の高い身体能力(パルクールの動き)を生かした動きのダイナミックさに、初めて観た時の私は一気に飲み込まれた*13。また、中盤のカーチェイス場面では、日本映画史上初の車両縦回転*14を実現している。そして後半の廃駅での大乱闘シーンでは、前作ザム1のCG無し長回しの100人VS500人乱闘シーンにも負けない迫力であり、その中で個々のキャラクター同士の一騎伐ちにフォーカスし、小さなドラマを描くことに成功している。
 出来上がった本作品を観れば分かる通り、そもそもハイローは、日本映画という小さな枠に最初からとらわれていない。過去のドラマシリーズから、最終作『HiGH&LOW THE MOVIE3/FINAL MISSION』(以下ザム3)に至るまで、作り手達が目指して来たのは、「自分達が本当に面白いと思うものを、出来る限り最高のクオリティで実現すること」であり、その結果ハイローという最高のシリーズが生まれたのである。
 こだわり抜いたのは、アクションだけではない。企画プロデュースを行っているのはLDH社長のHIRO氏ということもあり、役者のキャスティングは、EXILEをはじめとしたLDH所属の若手俳優パフォーマーを多く起用しているが、それ以外の様々なバックグラウンドを持った若手俳優を起用・発掘している。また、若手だけではなく、悪役的ポジションである反社会的勢力・九劉グループには、津川雅彦、岩城洸一、岸谷吾朗、笹野高史等々といった、何人ものベテラン俳優を配している。その他、音楽は勿論のこと、衣装や美術、車やバイクなど、様々な「その道のプロ」を採用し、細部に至るまで本物を追求し、映画のどのシーンを切り取っても、とんでもない強い画が出てくるという驚きの出来になっている。
(※ちなみに今からキャラクターについて語るが、キャラクターが多すぎて説明が私の手に余るので、全くハイローを知らない方向けに、私にこのシリーズを布教してくれた知人の一人が書いたブログ記事を紹介する。SWORDって何?ハイローってただのEXILE映画じゃないの?と思われる方は、この記事を読まれる事をおすすめする→
「 HiGH&LOWとは何だったのか(新書風タイトル)」 https://plaza.rakuten.co.jp/summerslope/diary/201608200000/?scid=we_blg_tw01
 ところで上述の通り、ハイローの魅力をアクションを中心に語ってきたが、もう一つの大きな魅力は、総勢60人以上を越えるメインキャラクターにある。そしてそんな大人数にも関わらず、ハイローは「全員主役」のコンセプトを掲げている。そして実際私を含むファン達は、メインである五つのギャングチームSWORDに所属するキャラクターのみならず、敵対するチームであるマイティ・ウォーリアーズや、反社会的勢力団体(所謂暴力団)である九龍グループの主な幹部に至るまで、大体のキャラクターを覚えているのである。*15
 そもそもハイローを観るまで、私はEXILEのメンバーの顔と名前を誰一人として知らず、しかもよく世間のひねくれ者が持っている、EXILE=パリピのイケメン集団という、バリバリの偏見に染まっていた人間である(本当にすいません)。そんな私がなぜ60人以上の登場人物を覚えられているかといえば、ハイローの各キャラクターの個性の強さと、徹底したキャラクターの記号化に秘密がある。
 物語の舞台であるSWORD地区とは、山王連合(主人公ポジション)、ホワイトラスカルズ、鬼耶高校(おやこうこう)、ルードボーイズ、達磨一家という、5つのギャングチームが治める地区のことで、それぞれの頭文字を取って、5つのチームはSWORDと呼ばれている。そして、まずチームごとの特色がかなりはっきり設定されている。各チームにはテーマカラー、チームロゴ、メインテーマ曲があり、更にチームごとに衣装のテイストや格闘スタイル、移動手段(バイクや車)にも違いが設定されている。そのため、各チーム入り乱れての大乱闘シーンでも、名前の無いモブキャラですら、一目でどこのチームの所属か分かるようになっている。
 更に各チーム内でも、リーダー役には個性の強い俳優やパフォーマーをキャスティングし、髪の色・髪形から声のトーンや喋り方、その振る舞いに至るまで、完全に「デザイン」されている。そして同様に、チーム内の二番手以下のメンバーにも、俳優本人の個性を生かしつつ、強いキャラクター性を持たせ、他のメンバーとの関係性や、そのキャラクターの過去や背景を明確かつ綿密に設定しているのだ。
 言ってみれば、ハイローのキャラクターデザインは、二次元の漫画やアニメに近く、それゆえ各キャラクターはそれぞれの記号性を持っている。これにより、鑑賞者は何十人ものキャラクターを把握し、一瞬のキャラ同士の会話シーンだけで、その背後にある関係性を読み取る事ができるようになっている。これが、ハイローがEXILEの本来のファン層を飛び越え、オタクや映画好きの間で受容された要因の一つであろう。
 と、語る事はまだまだ山ほどつきないが、ハイローの大きな魅力をかいつまんで説明してみた。あくまでも本物を追求するアクションへの高い挑戦性と、大人数キャラクターによって繰り広げられる人間絵巻のような物語の融合。これを私に体験させてくれるのは、ハイローだけである。
 2017年11月公開のザム3によって、ドラマから始まったハイローは一旦幕を閉じたが、今後も何らかの形で別のシリーズが制作されていくと言われている。素晴らしいハイロー世界を作り上げてくれた、 HIROさんをはじめ関係者の方々に感謝を述べると共に、今後も私たちファンに新たな夢を見せてくれることを期待している。
 ハイロー、ありがとう。今までお疲れ様でした。


*1:ちなみに、旧作に関してはAmazonプライムNetflixTSUTAYAディスカスやCATVの映画チャンネル等を通して、あまりにも何気なく日常的に鑑賞していたため、きちんと記録に残っておらず、今回はリスト化を見送った

*2:私は基本的に、映画は減点方式で評価するのではなく、一つでも多く優れた点を見出し、加点方式で評価したいタイプ

*3:これは至極当たり前の事なのだが、スパイダーマン・ホームカミングのような作品を観た後だと、本来なら大人に守られるべき十代の少年少女達に、世界の存続を託すようなストーリーが多い日本のアニメに違和感を感じてしまう

*4:http://www.morihime.tohoku.ac.jp/100th/rekishi.html

*5:正確に言えば、彼の場合は高機能自閉症という方が正しいのかもしれない

*6:ちなみに会計士はASDに向いているといわれる職業として、よく名が挙がる一つ

*7:ADHDの特性である、短期記憶が苦手で集中力が続かず、長時間の勉強が苦手(但し一旦過集中に入ると、何時間もそれに没頭し続けてしまう)という点がありつつも

*8:ちなみに二位はGotGリミックス

*9:監督本人もインスピレーションを受けたという

*10: http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2017/05/14/205120

*11:後に知った事だが、このシーンはかなり配慮したやり方で撮られていた。撮影時、演者二人の周りには最小限の女性スタッフしかいなかった(監督は別室で画面で見ていた)等のエピソードを知り、役者達の心情を慮った監督のやり方に尊敬を覚えた。同様に女性同士のセックスシーンを扱った『アデル、ブルーは熱い色』で、主演女優のレア・セドゥから撮影方法を批判された、某監督との違いがすごい…

*12:ちなみに2.5次元舞台において、これと同じ構図で客を一種の演者として作品内に取り込み、成功した例が『幕末Rock』だと思う。ちなみにエントリを遡って頂ければわかる通り、このブログを設置したきっかけも、そもそも二年近く前に、幕末Rockの雷舞(ライブ)について書くためだった→http://mayringooo.hatenablog.com/entry/2016/02/29/210802

*13:このシーンで登場するRUDE BOYSのピーを演じているZENさんは、世界的なパルクールパフォーマーであり、実際にありえない高さから本人が飛んでいる

*14:本作のアクション監督大内貴仁氏。カー・スタント・コーディネーターは『西部警察』シリーズ等で活躍されてきた、まさにレジェンド級ドライバーである野呂真治氏を起用している。車の縦回転アクションは、海外ではクリストファー・ノーラン監督が『ダークナイト』シリーズでもやっている

*15:ちなみに私は、ADHDの偏った認知特質も手伝ってか、かなり記憶力が悪く、人(特に三次元の男性)の顔を覚えられない。どれくらい覚えられないかと言うと、思春期に相貌失認を一時期疑われたレベルで覚えられないので、今まで三次元の男性アイドルやミュージシャンのファンになって、活動を追いかけたりしたことはない。